Fukuoka's history information 
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福岡史伝…福岡の歴史をできる限り簡単にご紹介!

名所旧跡…メジャー観光地と観光バスは行かない隠れた旧跡

福岡人物伝…歴史は人が造る!福岡の歴史に登場した人々

意外な話…それってホント?意外すぎる話。

よくわかっていない事…歴史って考えれば考えるほど面白い!!

一夜漬け福岡史…時間がない忙しい人用のページ

福岡歴史年表…福岡2000年の歴史概要

名所旧跡フォトライブラリ…乱雑ですが写真集です

リンク…博物館、資料館、図書館へのリンクです。

余談…ひとり言的な話です

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はじめに…お願いと参考書

 
新着情報

2019.11.9

NEWSティッカーに魏志倭人伝!!

2019.10.27

名所旧跡に石造七重塔を追加しました

2019.10.23

名所旧跡に針摺石を追加しました

2019.10.22

人物伝・小野好古を訂正しました

2019.10.22

人物伝・吉備真備を訂正しました

2019.10.20

「日本号」ってなに?を訂正しました

2019.10.19

戊辰戦争に福岡藩出兵を訂正しました

2019.10.19

源平合戦後の九州を訂正しました

2019.10.19

名所旧跡に柴田城址を追加しました

2019.10.17

破るる夢も惜しからず

名言・格言「黒板にちゅ~も~く!」
なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは 人のなさぬなりけり
上杉鷹山

福岡史伝・戦国
 【名家衰退】(1533年~)

南北朝時代が終わると、今川了俊は帰京の命が下され九州を去ります。代わって九州探題には足利家一門の渋川氏が任命されるのですが、探題と反りの合わない筑前守護の少弐氏は渋川氏と戦いこれを筑前より追います。しかしこの事が、大内氏の九州進出のきっかけとなります。 少弐氏は幕府の命を受け渋川氏を支援する大内氏により肥前に退けられます。
九州に地盤の薄い渋川氏にとっては大内氏の支援は不可欠なものでしたが、時が経ち気付いて見れば筑前は大内氏の支配するところとなり、渋川氏は肥前東部の小勢力という立場になっていました。

1533年、渋川義長は一転しこれまでの宿敵、少弐資元と同盟し大内氏に抵抗しますが翌年には大内義隆の軍に攻められ敗死します。以後も探題・渋川氏は存続しますが大内氏の傀儡となり、実質的な探題はにここで終焉を迎えます。
一方、少弐資元は筑前奪回も儘ならず肥前で大内氏に防戦一方となりますが、配下の龍造寺氏の活躍で辛うじて面目を保ちます。そして1534年、資元は大内義隆と和議を結ぶものの2年後には義隆より攻められ多久に逃れそこで自刃します。その後、資元の子・少弐冬尚が後を次ぎますが、配下の内訌により龍造寺氏は少弐氏を見限り大内義隆へ従います。
しかし、豊前・筑前を得て七国の守護となり勢力を誇った大内義隆も1551年には重臣の陶晴賢(すえはるかた)の謀反で自刃しこの世を去ります。その後を陶晴賢の要請で大友宗麟の弟・晴英(義隆の甥)が継ぎ大内義長となるものの6年後には、陶晴賢を破った毛利元就に攻められ自刃し大内氏は滅ぶことになります。
この大内氏の終焉は、龍造寺隆信に攻められた冬尚が自刃し少弐氏が滅亡する2年前の事になります。

その後、肥前では少弐氏に取って代わった龍造寺隆信が戦国大名として頭角を現し、筑前を勢力下に収めていた大友宗麟と対立する事となります。




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  • 『魏志倭人伝』序 略文      
  • 倭人、帯方郡の南東の大海にあり
  • 山島に依り国邑をなす
  • 昔、百余国あり
  • 漢の時代に朝見する者あり
  • 今、使訳の通ずるところ三十国あり
  • 帯方郡より倭に至るには
  • 海岸に従い水行し韓国を経て
  • 乍南乍東しその北岸、狗邪韓国に到る
  • 七千余里
  • 初めて一海を渡り千余里
  • 対馬国に至る
  • 居絶にして四百余里四方
  • 土地山険しく深林多し
  • 道はけもの道の如し
  • 良田なく海物を食いて自活す
  • 船に乗りて南北に交易する
  • また一海を渡る事千余里
  • その海を翰海という
  • 一大国に至る
  • 三百余里四方、竹木そう林多く
  • 千ばかりの家あり
  • 多少の田地あり、田を耕すも食足らず
  • 南北に交易する
  • また南に一海を渡りて千余里
  • 末盧国に至る、四千余戸あり
  • 山海の浜に居す
  • 草木茂盛し、前を行く人見えず
  • 魚鰒を捕るを好み
  • 水深浅なく、皆沈没してこれを取る
  • 東南陸行五百里、伊都国に到る
  • 千余戸あり、代々続く王ありしが
  • 皆、女王国に統属する
  • 帯方郡使が往来し常駐する所なり
  • 東南、奴国に至ること百里
  • 二万戸あり
  • 東行、不彌国に至ること百里
  • 千戸あり
  • 南、投馬国に至る
  • 水行十日、陸行二十なり
  • 五万余戸ばかりなり
  • 南、邪馬壱国に至る
  • 女王の都す所なり
  • 水行十日、陸行一月なり
  • 七万余戸ばかりなり
  •         『三国志 巻三十 魏書三十 東夷伝 倭人』より

スポットライト人物伝


【物部麁鹿火(もののべあらかい)】
(?~536年)


任那四県割譲の承諾を百済の使者に伝える役目を命ぜられますが、妻の強い制止に従い病を理由にその役を断ります。 「磐井の乱」では継体天皇に命じられ筑紫に出兵し三井郡(みいのこおり、三井郡大刀洗町、久留米市北野町)で磐井を破り乱を平定します。



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