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検索の結果 14件の記事が見つかりました


浦ノ城跡(太宰府市連歌屋)【名所旧跡・連歌屋方面】
現在「浦ノ城跡」は住宅地となっており、この案内板はその児童公園内に立っています。 足利尊氏が「九州落ち」で九州に上陸した直後、菊池武敏.....

筑後川の戦い(1359年)【福岡史伝・南北朝・室町】
「針磨原の戦い」から6年、京都で足利尊氏が没すると、勢いづいた南朝方とこれに抗する武家方(北朝方)が筑後川の北側で激突します。 これが、地元では「大原.....

観応の擾乱-筑前-(1351年)【福岡史伝・南北朝・室町】
1349年、足利尊氏の右腕の高師直と、尊氏の弟・直義との確執で足利幕府は二派に割れます。 長門探題を努める尊氏の庶子・直冬は叔父(義父)の直義に援軍す.....

多々良浜の戦い(1336年)【福岡史伝・南北朝・室町】
1335年12月後醍醐天皇に反旗をひるがえした足利尊氏は、新田義貞を破り翌1月には一旦、京に入りますが、 北畠、新田、楠木軍に破れ、海路九州に落ち延び.....

元弘の乱-博多-(1331年)【福岡史伝・鎌倉】
後醍醐天皇の倒幕計画が漏れ拘束されたことにより「元弘の乱」が起こります。通常は首謀者が拘束されると乱は収束するのですが、 この時は、後醍醐天皇の親王や.....

南北朝・室町時代(「多々良浜の戦い」から南北朝の動乱へ)【一夜漬け福岡史】
1336年、後醍醐天皇軍との戦いで不利に陥った足利尊氏は、いったん京都から九州に落ち態勢を立て直そうとしますが、九州に上陸早々、 肥後より攻め上って来た菊.....

落武者尊氏、筑前で復活!(多々良浜の戦いは多勢に無勢?)【意外な人物伝】
後醍醐天皇軍との戦いで形勢不利となった足利尊氏は一旦京都から落ち九州へ向かいます。 1336年2月下旬に九州に入りますが、それも束の間3月2日には、肥後から攻.....

上杉鷹山の祖は筑前人?(大蔵春実、「藤原純友の乱」を鎮圧す)【意外な人物伝】
「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」 (「やればできる。やらないと事は成せない。やれないのはその人がやれないのではなく、やらない.....

一色範氏(?~1369年)【福岡人物伝】
「多々良浜の戦」に勝利した尊氏に九州探題を命じられた一色範氏はそのまま筑前に残りますが、 これに「筑前に二人の主は要らず」と反発したのが少弐頼尚で両者は争うこと.....

阿蘇惟直(?~1336年)【福岡人物伝】
足利尊氏が九州に上陸すると菊池武敏と共に筑前へ攻め上り、多々良浜で尊氏軍と激突します。 しかし戦いに敗れたため山越えで佐賀方面へ撤退を試みますが、小城の千葉氏の.....


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「福岡史伝と名所旧跡」