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検索の結果 17件の記事が見つかりました


親不孝通りの史跡(2018年4月7日)【余談】
先日久振りに所用で天神に出たので、ついでに親不孝通りに足を伸ばしました。 「親不孝通り」は随分以前に「親富考通り」に名称変更されたのですが、噂どおり「親不孝通.....

月形洗蔵幽閉の地(筑紫野市)【名所旧跡・筑紫平野北部】
月形洗蔵は尊王の志士としては平野国臣に劣らない思想家だったようです。 しかし、この碑にも書かれているように幽閉の期間が4年と長く、活動家として行動でき.....

延寿王院(太宰府市宰府)【名所旧跡・太宰府】
七卿落ちの碑 延寿王院 菅原道真公 歌碑 参道を進み突き当たるとそこに延寿王院があります。ここには幕末の「七卿.....

平尾山荘(平尾山荘公園)【名所旧跡・中央区】
野村望東尼が勤皇の志士たちとつながりを持ったのは同じ歌人であった平野國臣を通してだと思われます。 1858年の「安政の大獄」で幕府から追われる月照を.....

望東尼の姫島脱出(高杉晋作の救出作戦)【意外な人物伝】
1865年の乙丑の獄で望東尼は、糸島半島の西約4キロの「姫島」に流されます。 山荘に匿ってもらった過去のある高杉晋作はこれを知ると望東尼の救出を画策します。 .....

福岡の変(1877年)【福岡史伝・幕末・維新】
熊本、秋月、萩の乱が醒め遣らぬ1877年2月、薩摩の私学校生たちの暴発に引きずられる様に西郷隆盛が決起すると、 福岡でも薩軍に呼応するため元福岡藩士の武部.....

乙丑の獄(1865年)【福岡史伝・幕末・維新】
1864年、長州征討を受けた長州藩は一旦恭順を示しますが、 筑前・平尾山荘に逃れていた高杉晋作は同年12月に下関へ戻り挙兵、 翌1月には幕府へ恭.....

五卿の大宰府入り(1865年)【福岡史伝・幕末・維新】
会津と薩摩の軍が1864年「禁門の変」で長州軍を破ると、幕府は長州征討の勅命を受け兵15万を広島に集結させます。 これに長州藩は恭順の意を表し、三家老.....

幕末・明治(勤皇の志士たちと「秋月の乱」)【一夜漬け福岡史】
幕末期には、真木和泉や平野國臣などの勤皇の志士が登場します。二人は1862年4月、薩摩藩の「寺田屋事件」に関わり捕らえられ、 それぞれ久留米藩、福岡藩へ送.....

月形半平太って誰?(薩長同盟のもう一人の立役者、月形洗蔵)【意外な人物伝】
「月様雨が」 「春雨じゃ濡れて参ろう」 月形半平太は大正時代にヒットした舞台劇「月形半平太」の主人公の名前です。 この架空の志士のモデルは土佐の武市半.....


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「福岡史伝と名所旧跡」